静かなる職人

 京の町屋が絶滅寸前だ。設備・建物自体も老朽化し、補修するよりも建て替える方が安く済むという現状もあるようだ。町屋に住んで町屋を守ろう、とまでは思わないが、大工や左官工の様な優れた職人が用無しになるのはあまりにもしのびない。彼らのクラフトマンシップやスキルをもってすれば近代建築を遙かに凌ぐ「住」を築くことができる

 職人は、伝統や完成度を重んじているわけではない。深いコミュニケーションを通じて、使う人や地域にとって最も必要とされる機能や美観を実装し続けているに過ぎない。利益や話題性、個人の主張などの醜い装飾はネコのフン以下である。

 かと言って単なる「作業者」とは心意気が違う。制作物にこっそり名前を刻んだりするのは、自己主張ではなく、関係性の断絶を恐れるからだ。これはオレが作ったんだという「証」は職人にとっての聖域なのだ。クリエイターもかくあるべきだ。

※ネコのフンを追い求めているヽ(。_゚)ノな「ぷろじゅーさあ」とか「でれくたあ」とか言われてる方々、わかりますか?>>>

2002.03.22 / n_a_r_y